あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
去年は、縁あって自分の同人グッズを海外の皆さんにも販売できたり、
音声作品のジャケットやオリジナルのB2タペストリー案件をいただけたりと、
ほんの少しだけ自分の絵で社会貢献できたような気がします。
が、肝心の自分自身のコンテンツは、抱き枕カバーを出したのみで、
漫画制作はナメクジが這うペース…、5月頃完成させようと言っていたのが
8月に延び、10月に延び、とうとう2020年は終わってしまいました。
自分の中で、漫画を描くことはとても重荷です。やらなくちゃいけないことが多すぎます。
だから、今描いているものは「もっと普段の落書きのノリで漫画が描けんものだろうか」と、
過程の省略を模索していました。
苦手で重荷のくせになぜ描くのかって、悔しいんですよ。漫画描ける人を見てると。
「コイツに出来て自分にできないわけがない」と思うんです。
そんな昨年末のある日、コアマガの担当さんから
こんな話を伺いました。
「何か作品を作るとき、破壊神さんの場合だと漫画を描く時に、
自分自身と、目標・目的(=自分が最も表現したいもの)との間に
できるだけ障害物を置かないように心がけてください。」
「この場合の障害物というのは、ソフトはこれをこう使わなきゃ…とか、コマはベタはトーンは…みたいな、
漫画だからああしなきゃこうしなきゃという縛りのようなものです。
それをできる限り取り除いていけば、きっともっと漫画描きやすくなりますよ。」自分が一つ許されたような気がしました。
『今あなたが実践していることは正解だ』と言われているようでした。
漫画のもっと外側、絵の世界では(他人の作品を奪わないなら)何をしても許されます。
完成品が良くなるのなら、どんな道具や手段を使ってもいい。
絵の世界にそれがあるのだから、絵の世界の中にある漫画の世界もたぶんそれを内包しているはずなんです。
コマが割られて文字と絵が入って、それにストーリーが載っているという形式さえ守られていれば、
何がどう描かれていようが漫画であるはず。
ただ、取り除く障害物は選ばなくてはいけないのは理解しています。
質より量を選択した結果とにかく時短時短で何のこだわりも感じない退屈な絵になってしまった作家さん、割といます。
自分がそうなることは許せません。
ちょっと何言ってるかわからなくなってきました。考えるの飽きたのかな?
何にしても今年は練習より作品を発表することを第一に考えてまいりますので、どうかお付き合いください。

web拍手へコメントありがとうございました。
よかったらまたお願いいたします。
> 破壊神先生の単行本、早く購入したいです。ありがとうございます。自分も自分の単行本が出るのが夢の一つです。今は遠き理想…
でもデビュー作の女教師おねショタものはリメイクというかリベンジしたいので載らないかもしれません。